従軍慰安婦と戦後補償について考える市民の会

日本は反省する!

トンスル半島

 

特別寄稿 私が見た"従軍慰安婦"


私は先の大戦中、北支戦線に於て陸軍病院の軍医として従軍し、衛生兵の教育として支那人の無料診療をさせるという、いわゆる実践教育をずいぶんやりました。そのためか敗戦後は中国共産党から比較的寛大な扱いを受け、現地の医療指導員として10年過ごしました。この間共産党の激しい洗脳工作に耐えねばならず大変に重苦しい日々を送りました。

1956年、完璧に洗脳された演技が功を奏したらしく、どうにかこうにか帰国出来てからは、中国帰還者連絡会という、実際に洗脳されてしまい哀れな反日狂人と化した人々との関わりを避け、旧日本軍の冤罪を世間に訴える活動を続けています。普段は数百万の支那人を死の淵から救った日本軍防疫部隊について話す機会が多いのですが、ここでは私が体験した朝鮮人の「慰安婦」について述べます。

私の子供の頃から、すでに五族協和や内鮮一体のスローガンは叫ばれていましたが、それでも朝鮮人のことは「鮮人」又は「ヨボ」、中国人のことは「チャンコロ」と蔑みを込めて呼んでおりました。これは仕方のない面もありました。いくら日本人が彼らを公明正大に扱おうとしても、彼らの多くは平気で嘘をつき、恩人を裏切り、借金を踏み倒し、隙あらば物を盗もうとしました。時には凶悪で残忍な本性を垣間見せることもあり、まったく人間として信用できない民族であるように思われたことが原因だったと思います。それでも私は、「いつか欧米列強をアジアから叩き出し、すべての民族が仲良く暮らせる共栄圏を建設するのだ」という高邁な理想に燃えていました。また当時日本中がそういった理想に燃えており、疑問を持つ者は極めて僅かだったでしょう。

私は軍国青年として育ち、軍医として中国に渡りました。丁度真珠湾攻撃直後の頃で「まことに素晴らしい、やはり天皇を頂いた神の国だ」と意気揚々として、「私の背後には天皇陛下がおいでになる。さあ、どこからでも掛かってこい」そのような気負いに満ちた旅立ちでした。

1942年1月、中国山西省南部のとある陸軍病院に着任しましたが、そこは付近を占拠している師団の司令部の所在地で、私の日常は兵士と現地の支那人に対する衛生指導の明け暮れでした。

そこには軍人専用の「慰安所」があり、病院の軍人たちもよく訪れていました。兵士たちは厳しい軍規に縛られ、過酷な訓練に明け暮れ、それでいて何時戦場で屍をさらすかもわからない。そんな緊張に満ちた日常の中でやっと気が抜けるのが月に一回か二回訪れる慰安所でした。そこで元気を取り戻して翌日からの辛い日々に耐える。即ち活力の元が「慰安婦」だったのです。

私は初心でしたので内地ではそのような経験もなく、また売春婦を「汚い」と差別していたのでしばらくは近づきませんでした。

私が「慰安婦」を初めて見たのは慰安所からの依頼で女性たちに衛生救急教育をした時のことです。慰安婦たちの構成は、日本人が七割、残りの三割くらいが朝鮮人だったと記憶しています。指導した結果「朝鮮人の衛生観念は酷いものだなあ」などと蔑む気持ちになりましたが「いや、朝鮮人も日本人と同じ天皇陛下の赤子なのだ」と思い直して、ことさら平等に扱おうと勉めたものでした。

半年ほどして軍務にも慣れました。毎週末に全将校は病院長との会食があり酒を飲みましたが、或るとき酒の勢いで皆と一緒に慰安所を訪れました。慰安所での値段は兵隊は2円で5時まで、下士官は3円で7時まで、将校は泊って10円となっていました。私の初めての相手はまだ十代で東北出身とのことでしたが、焦りと気恥ずかしさで生きた心地がしませんでした。しかし、そんな私もしばらく経つと休日のたびに通うようになりましたが、容姿などが好みに合わなかったせいもあり朝鮮人慰安婦を買うことはありませんでした。

当時を知るものとして断言しますが「慰安婦」は公娼そのものでした。彼女たちは充分な給与を受けており愛想もよかったです。然し彼女たちの口からは別の物語も聞こえてきました。これは朝鮮人慰安婦に多かったのですが、「自分は裕福な家庭の娘だったのに誘拐されて連れて来られた」とか、「普通の家庭の娘だったが騙されて連れてこられた」などという嘘をよくついたのです。騙されて連れてこられたと言えば、相手は同情して贔屓にしてくれるだろうという算段があったのでしょう。日本人慰安婦に比べれば、朝鮮人慰安婦は人気がありませんでしたので、一人でも多く客を取るために、そういった物語を作り上げたのだと思います。また現在、強制連行されたと偽証する自称・元慰安婦の朝鮮人老婆が存在するのは、卑しい韓国政府による誘導が主たる原因でしょうが、前述のような嘘を言い続けている間に、自分でも本当にそうだったと思い込んでしまった結果でもあるのかもしれません。

(湯川兼一 正しい歴史を語り継ぐ会常任委員)

 



リンク集


inserted by FC2 system